サッカー部を辞めた日から始まった僕の『逃げて変わった人生』

人間関係

今回は完全な自分語りです!

私は、現在31歳の独立開業目指す会社員ですが、実は2回のニートを経験しております

その経緯と、その時の心情、そこで学んだ教訓を赤裸々にお話していこうかと思います

挫折したことがある方、今どん底だと感じている方、人生の転機を前に悩まれている方の励みになればと思って書きました

ぜひご覧ください!

1つの寝坊が全てを変えた

私は中学生までサッカーをしており、弱小ではあったものの、サッカーは好きでした

自然と高校でもサッカーをと思い、大して頭も良くない私は限られる選択肢の中でもサッカーの古豪の高校を選びました

セレクションがあるわけではなかったですが、入学前に顔合わせとして練習会があるような学校です

卒業したてのある朝9時~だったと思います

私は、寝坊をしました

起きた頃には練習会が終わるころ、もう完全に間に合いません

ケータイを見れば一緒に行こうとしていた幼馴染からの着信が数件

焦りに焦って部屋の中をウロウロしていましたし、始まってもいないのに、もう終わりだと絶望してふさぎ込んでしまいました

あの感覚は今でも夢に出てきます

その幼馴染とは幼稚園からずっとサッカーを一緒してきた中で、

高校も一緒にやろうと言っていた手前、合わせる顔もありません

今後どうなるんだろうと不安でいっぱいだったのを覚えています

結果、私は、逃げました

暗い高校生活のスタート

高校にはもう合格していましたので入学はしましたが、サッカー部には入りませんでした

スタートに出遅れてしまったのと、何より幼馴染に顔合わせるのが怖かったのです

その頃はずっと、怒られるんじゃないか、嫌いになっているだろうとネガティブな感情で支配されていました

実は数年前に会う機会があったのですが、「あの時めっちゃ避けられててショックだったわ!!!」と笑い話となりました

学生の頃って住む世界が小さいですからね、当時は絶望していたものです

ともあれ私にとって、

これが初めての人生の大きな転換期でした


中学まではサッカー部ということもあり、スクールカーストが上位でいられて、どんな人とも分け隔てなく話せて、授業中に手を挙げることも厭わない性格でしたが、

この逃げた経験により一変しました

人と目を見て話すのが怖いし、引っ込み思案で勉強も禄にしない、オドオドした性格となりました

今になって思うと、どちらも本当の自分なのですが、自信があったときの自分を殺しているようで本当に辛かったです

絶好のターゲット

高校時代、そんな性格の私はイジメのターゲットでした

ハンドボール部に入りましたが、上手くいかないし挑戦する気概も失われ、唯一の友人の誘われただけでやる気がありません

練習の直前で歯医者の予約を忘れてたと嘘をついて帰ったり、骨折を言い訳に練習に行かくなり、そのまま退部

私は、また逃げました

確か夏合宿のあとに辞めた気がします、吐くまで練習頑張っていたんですけどね

自分はサッカー部とハンドボール部から白い目で見られていると勝手に感じて、よりオドオドとして陰鬱としていたと思います

実は、あんまり覚えていないのですが、確かにその頃イジメられていました

覚えているだけでも、無視はされていましたし、シャー芯が全て折られていたり上履きがゴミ箱に入っていたり

もっと酷いイジメの体験のある方からすればこんなもんですが、私はこれだけでもイジメられてるなと感じてました

イジメられていたのをあんまり覚えていないのは、実家に帰ると毎度何かを忘れるほどの忘れっぽさがあるだけじゃなくて、今の自分には必要のない記憶だからなのだと思います

それでも楽しい時期もあった

幸い、他のコミュニティに所属して、友人もでき、高校生活の中で楽しかった思い出もあります

あの時に普通に接してくれた友人には感謝しております

カラオケに行ったり、マックやサイゼで話したりと楽しい時間も過ごさせてもらい、仕舞いには文化祭でボーカルも務めました

1年前までイジメられていたのにです、人生何があるか分からないもんですね

緊張しすぎて歌詞飛んだのは強烈な思い出です

当時イジメてきた人たちも、月日が流れるにつれて何もしなくなり、最低限話せるようにもなりました

何となく受験

また、勉強からも逃げました

学校サボって他校の友人とゲーセンに行ったり、バイトもせず、毎日のようにアニメ観たりや深夜にサッカーを観たり、友人の家でゲームしたりしていました

自分の将来について考えたこともなかったですし、3者面談では毎度「この子は伸びしろがある」とお決まりのセリフを言われていたのを覚えています

周りのみんなも大学受験するし、自分もということで、何となく受験しました

お恥ずかしいのですが、センター試験はなぜか受けずに、その大学の一般受験を1本のみ

これ本当に謎です

当時の私は何を考えていたのでしょうかね

そして無事、浪人生になりました

1週間の浪人生活

浪人生と言っても、最初の1週間ぐらいでした

周りの落ちた友人というか知り合いに人たちと予備校に見学に行ったのです

そこではまず、志望校とセンター試験の結果を聞かれました

私には、どちらもありません

とても恥ずかしく、ここにいる資格はないと感じました

そして、私はまた、逃げました

1度目のニート

見事、夢も希望もないニートの完成です

それまで人生について考えたこともなく、バイトもしたこともなく、友人はみな大学に行き、自分には何もない状態でした

ネットを開けばアニメを観て、ゲームをして○○って寝るだけ

この状況、ニートをしたことある方は分かるかもしれません

とてもじゃないですが、幸せとは感じられません

とりあえず、バイトはしようと思い(恐らく親から言われたのだと思います)面接を受けましたが、落ち続けました

コミュニケーションを長らく取っていない私には面接はとてもハードルが高かったのです

日々話すのは親や兄妹と少しだけ、ほぼ発声の仕方を忘れてました

自分の出している声がどれぐらいの大きさなのかも分かりません

そもそも電話ってハードルの高いですよね?

かける前にメモに書いて練習しても、息が詰まりコールの音の度に心拍数が跳ね上がるあの感覚

今でもそうですが、電話って緊張します

結局は友人のつてでミニストップでバイトを始めました

初めての自分探し

バイトを始めただけでも、私にとっては大きな1歩でしたが、今後どうなってしまうのかという不安はずっと続きました

答えのない不安は募るばかりです

ここで、私は初めて自分の将来に目を向け始めました

よし、将来について考えよう

なんと18にして初めてです

再びの、人生の大きな転換期です

まずはこの世にどんな仕事があるのかと調べました

当時は『14歳のハローワーク』ベストセラーの本があり、

それこそ14歳頃に読んだことはありましたが、その時は何も響かなかったのでしょう

将来について考え始めてから、突然思い出して読み直したのです

それから、様々な仕事や、自分の適性は何か?やりたいことは何か?と考えました

ニートで時間はありましたが、深い考えをすることをしたことがなく、当時の考えは浅はかだったなぁと今では感じます

ただ、この自分に矢印を向けた時は、ニート期間の中でもとても充実していたと思います

自分の将来に目を向けて考えること、自分でも今からできることに目を向けるだけで、状況は変わっていなくても、心の持ちようが変わる

私は、鍼灸師になることを選びました

何となく専門、何となく就職へ

鍼灸師になるには3年間専門学校(4年制の大学もある)に通い、国家試験を受けて合格する必要があります

世の中の治療家やスポーツトレーナーの方々はほとんど持っている資格です

私も色々と調べてこの道を選ぼう!

と決心して両親に話して了承をもらい学校に進んだのですが、実はその進んだ理由を覚えていないのです

クラスのオリエンテーションで「将来は温泉地のマッサージ屋としてやっていければ」と答えた覚えがありますが、本心ではなかったように思えます


とはいえ、自分で考えて選んだ道です

初めて勉強が楽しく感じ、のめりこむ様に毎日勉強していました

そのときは朝から学校が閉まるまで勉強して、帰ってご飯食べたら勉強してを繰り返していても全くストレスに感じません

『鍼灸師になる』という目標が自分を突き動かしていました、ストレスも感じず

中学と高校の自分を比べてもそうですが、今回も相当変わりました

性格も自分を押し殺しているような感覚は無くなり、

みなと分け隔てなく話せるような性格が戻ってきたのです

良い人たちに囲まれ、勉強も楽しく順調でした

とりあえず就職へ

専門学校は鍼灸の資格取得を目指すという目標があったため、将来に向けて不安はありませんでしたが、どこに就職するかということになっては話が違います

またまた人生の大きな転機です

それまでの自分の目標は『鍼灸師になること』

つまり、その先は考えていませんでした

振り返ってもとっっても浅いですよね

今の仕事を選んだ理由が分かる人って本当にすごいと思います

実は学生時代に、元Jリーグのトレーナーさんが開業した治療院に研修として行かせていただいていました

何も考えていない私は、何となくここに就職するだろうと甘い考えをしていました

そんな感じで研修していれば見抜かれます、当然就職はお断りされました

幸い就職先は選ばなければたくさんある業界です

すんなりと他の職場に決まりました

就職先が困らないというのは、需要があるか、人が定着しないかのどちからです

私が選んだ職場は後者でした

鬱になり2度目のニートへ

前職はいわゆるスタートアップ企業でした

創業2年目で、まだ色んな整備が成されていない状態です

入社前は社会保険完備と説明を受けていたはずですが、実際は厚生年金も、健康保険も、雇用保険も入っていませんでした

給料は手渡し

つまり、私は社会上は働いていないようなものです

ほんの10年前の話ですが、すごいですよねぇ

それと、勤務時間は実質9時~22時、週6.5勤務でした

労基に駆け込む隙もありません

頑張っていたアピールをするつもりはないのですが、当時は必死に働いていました

当然、身体は徐々に弱っていきます

帰っても夕飯を食べる気力もなく、体調が悪くなり、気力がないので休日は寝ているだけ、自分で考える力もなくなり、あの勤務が当たり前だと

なんといっても周りの仲間も同じように働いていましたし、自分だけが弱音を吐くなんてとも思っていました

ある時から電車の明かりや、帰り道の車のライトが眩しすぎて晴れているのに傘を差して帰っていたのを覚えています

今、あなたはそうなっていませんか?

これ、鬱の症状なんです

もし自分と重なる方がいらっしゃれば、立ち止まってほしいです

逃げてほしいです

私は、勇気を出して、逃げました

初めて積極的に逃げたと思います

今までは後ろめたさで逃げてきましたが、今回は心身ともに疲弊しきり、理由もなく涙がでてきたりしてもう限界だとは感じていました

自分を守るために勇気を出して辞めることを伝えました

脚も声も震えていたのを覚えています、これはその時の記事です

その後のことなんて、考えられません

とにかく逃げることだけ

私の人生の大きな転換期です

積極的に逃げた結果

積極的に逃げてから、人生は完全に好転しました

再びニートになりましたが、失敗を繰り返さないように焦らず職場を選びました

選んだのが今の職場です

今の職場は、それぞれの夢に向かって成長ができるような職場で、自分は独立開業をに向けて準備をしております

実は、9時30~22時頃の勤務なので、前職と大して変わらないのですが、ストレスが全く違うんです

自分に合った職場というのが必ずあります

私はたまたま2つ目で見つかりましたが、そうではない方もいるでしょう

自分は何を大事にしていて、何を受け入れがたいのかを明確にしてから就職活動して良かったなと感じてます

ハードな毎日ですが、今は将来に向けてこのブログも始める意欲も湧き、ワクワクした日々を送っています


消極的に逃げ続けた結果のニートと、積極的に逃げた2度目のニート

どちらも本当に必要なことだと思います

当時の暗い過去、本当に辛い時期を過ごしていましたが、今となっては先述のイジメの内容も薄れていますし、前職を恨むことなく、良い伏線だったと言えるようになりました

今、辛い時期を過ごしている人は、無理にポジティブに考えなくても良いと思います

その辛い環境で心身が疲弊していると感じたら、積極的に逃げてほしい

勇気や気力が湧かないときは、その時を待っていてもいいんじゃないでしょうか

私は辞めるまで、1年弱かかりました


また、人生の選択肢を迫られてるときに良い選択をするには、自分と対話することが最も大事なんだと思います

自分との対話には時間が掛かるし、慣れていないと退屈です

YoutubeやSNSを観たり、友人と遊ぶ方が楽しいです

みんなもこうだから、あの人が言ったからではなく、自分はどうなのか?

この癖をつけていかなければなりません

私の後悔は、人生の転換期のほとんどを自分で決めなかったことです

表面上は自分はこうしたい!と言っています

でもそれはどこからきた想いなんでしょうか

本当の自分の想いなんでしょうか

こればっかりはAIに聞いても分かりません

自分との対話を通じてしか分からないものもあります

その対話を通じた本当に想いがあれば、人生は好転します

断言します

もし、自分との対話ができる心と時間の余裕がある方はやってみてくださいね

無理なく進んでいきましょう

最後に

ここまでご覧いただき本当にありがとうございました

とても長く拙い文章ですが、自分のトラウマやネガティブな部分を曝け出せたと思います

私のこんな話が、少しでも誰かの背中を押せれば幸いです!!

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